人より優れているとか いないとか!

「国家の品格」を読んだ。
たしかに誇りと自信が湧いてくる。
英語より国語が大事なのもわかる。
資本主義と市場原理が不完全で欠陥品なのも頷ける。
言いたい事は分からないでも無いが、このご時世にこの内容。
きわめて右寄りで、全てをまともに受け入れると危ないと感じた。

そもそも、「村意識」や「村八分」の恐ろしさが書かれていない。
昔の日本人には良い面もあったかもしれないが、
全てにおいて勝っていた訳ではない。当然ドロドロとしたものもあった。
それに西洋を見下し過ぎているのも気に食わない。

祖国を愛さないやつは殴ってやるみたいな事を書いていたが、
はっきりいって、ふざけるなと言いたい。
好きでもないものをどうして愛せようか。いや、愛せまい。
私の出身は高知県だが、たとえ右の頬をぶたれたとしても、
左の頬を差し出して、決して好きとは言わないだろう。
だいいち、好きと言えるような理由が無い(笑)。


先週のAERAを見た方は分かるかもしれないが、
高知県がランキングで最下位なのも納得だ。
原住民は、酒と祭り好きの典型的なラテン系。
皆がそうだとは言わないが、一部を除いた大半がそうである。
ド田舎なのでまさしく「おらが おらが」の世界で、
人を卑しめることに特化した方言なんかは、
聞いているこっちが恥ずかしくなる。

よさこいにしてもドンパチうるさいだけで、ちっともいいものではない。
あれで「きてみいや」なんて平気で言うのだから、恥知らずもいいところだ。
そのせいか言葉よりも「腕づくで」という風潮も強い。
選挙があるたびに橋本氏や自民党ばかりに票を入れるから、
あまり進歩も見られない。知事や県警に闇金が発生するのも当然か(笑)。

小さい街なので、偉ぶって人を貶める奴も多かった。
私の周りだけそうなのかと思ったが、京都では無問題なので
やはりこれは土地の問題と言えよう。
夏目漱石の「坊ちゃん」曰く、まさに”不浄の土地”である。

今でも県立図書館と内田文章堂等は好きだが、
あくまで店舗内の空間が好きなのであって、
県民と土地が好きということではない。
最近は冥土喫茶もできたらしいが、ここでも腐敗度が伺える。
ついでに言っておくと、高知大学が同棲率が高い。

また、地方紙のレベルも低い。
引っ越したら迷わず朝日にしようと計画していたのを、
京都の地方紙、京都新聞のレベルに見事に崩された。
高知では新聞の切り抜きは滅多に無く、10分未満で読み終わっていたものだが、
京都では毎日切り抜きがあり、読み終えるのに16分程度かかる。

唯一、物価の安さではどこよりも勝っているかもしれないが、
同時に人件費も安いので所得も低くなり、余り実感に差は無いだろう。
むしろ、高所得と低物価のギャップで見れば、山口県がおすすめだ。
おまけに土地の値段も安いので、憧れのマイホームも夢ではない。
ただ、公共交通機関の便が悪いのが欠点だ。それに安倍氏の本拠地でもある(笑)。

一応ここで告白しておくが、
卒業して職が落ち着けば、そこで本籍を変えようと考えている。
いつまでも本籍に高知という字を残しておくわけにはいかない。
まだ先の事なのでどうなるか分からないが、
現段階では香川、長野、宮城あたりが良いと思っている。
京都でもいいが、すこし安直すぎる。ゴミの分別も環境に優しくない。


さて、ここまで高知の悪口を書きつつ他の土地と比較してきた訳だが、
これで分かるのは、どこでも一長一短だということだ。
完全な場所など無い。要は、どこなら自分に合うかという事だ。
そうであるのに、愛国心や祖国愛、郷土愛などという
自分の出身地で決まってしまう愛というのは
どこか根本的に間違っているのだと思うのだ。

武士道精神とフロンティア精神、
プラグマティズムと懐古主義、
倫理と情緒、右翼と左翼。
どれをみても一長一短。
どちらも優れていて、優れていない。
どちらも不完全で、一方に身を委ねる事などできはしない。
それを、一方的に戦前の方が良かったというのは、私は疑問を感じる。

繰り返しになるが、良い面と悪い面があるのだ。
愛国心と共謀罪と裁判員制度で雁字搦めの卍固めにするのは間違っている。
ここにきて大事なものは、「中庸」というものではなかろうか。
人間は多面的であり、一元・二元的なものではない。
大切なのは、かたよりなく取り入れるバランス。
そう思った日曜の午後だった。
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by yume-no-izumi | 2006-06-11 18:16